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はじめに
(本文から抜粋)
65才からのプロ出発
軍資金なし。あるのは、カチコチになった頭だけ。それから、3年。和田先生の精神的、物質的両面の支えがなければ、今日をむかえることはありませんでした。
プロとしての厳しさ、人への思いやり、仕事と遊びのけじめなど、精神的な指導、絵画に対する姿勢や技法の指導を、まったく無償でしていただきました。大山や北海道へのスケッチ旅行の費用も、すべて、お世話になりました。
実際、65才からプロになれるとは思っていなかった。それがなれました。
今まで、夢を捨てずにきて、良かったと思いました。
和田先生の力のすごさをあらためて感じます。
45年間、プロとして、絵一本で生きてこられた和田先生の指導は、世間知らずで、自分のことしか考えられなかった私にとって、時に激しく、厳しく、熱いものでした。
この画集も、65才にして巡り合った、師、和田先生の企画、構成で、でき上がりました。
心から、感謝の気持ちで、いっぱいです。
2004年から
プロ画家としての始まり
2004 第13回個展(丹波の森公苑・展示ギャラリー)
第14回個展(篠山市民センター)
2005 第15回個展(ギャラリーSOUND)
第16回個展(丹波の森公苑・展示ギャラリー)
第17回個展(ギャラリーSOUND)
2006 第18回個展(篠山・中兵庫信用金庫)
第19回個展(丹波の森公苑・展示ギャラリー)
第20回個展(西宮市北口ギャラリー)
第21回個展(ギャラリーSOUND)
第22回個展(丹波の森公苑・展示ギャラリー)
第23回個展(丹波の森公苑・多目的ルーム)
2007 第24回個展(ギャラリーSOUND)
第25回個展(西宮市北口ギャラリー)
第26回個展(加古川総合文化センター)
2008 第27回個展(西宮市北口ギャラリー)
出会いとはじまり
平成16年5月、私の小・中学校同級生で、当時、丹波の森公苑に勤務されていた宇杉一美氏の紹介で、はじめて和田義博先生に絵を見てもらいました。
その丹波の森公苑の展示の準備が終わったところへ地元の絵描きが来て、私に歳のことを、どうのこうの言い出した。その時
後ろから「歳がなんどい!」と、どなられ、助けられました。それが和田先生でした。
作品を見ながら途中で、作品『蒼い風I』『蒼い風U』の2点を見て、「もう、腰ぬけとうやろ」
「もう、これ以上無理やろ」と言われた
和田「プロになる気あった?」
伊勢「ありました」
「4回ほど挑戦した。けど、なれなんだ」
「デパートでも個展した。でも、なれなんだ」
和田「今でも、なりたいの?」
伊勢「なりたいです」
和田「ほんまに、なりたいの?」
伊勢「なりたいです」
和田「したろか」
「なりたいと、なるは違うで」
「なりたい、やったら、いつまでたってもなれへんで」
「なるんやったら、ならんかい」
「どうする?」
伊勢「なります」
和田「なるんやったら、初めに、600万から700万ぐらいの金はいるで」
伊勢「ありません」
和田「まあ、ええか。金のことは。おいといて」
「作品は、この程度やな。これもこっちでなんとかしよう」
「あとは?」
伊勢「売ります」
和田「しっかり売っといで」
――・――・――・――・――・――・――・――・――・
*はじめに、600万から700万ぐらい、いると言われていたが、970万立て替えてもらった。(材料費・額縁代・案内状・展覧会の費用等)3年かかって、完済できました。
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